2015年04月28日

舅の心に咲いた花

これは奉納式の時に、浅川先生が講話の中で紹介されたある夫人の実話です。長いので少しまとめてあります。お時間のある方は講話を直接聞いてください。


ある夫人が3.11で全てを失い、仙台に夫婦で移り住みました。彼女の舅は代々三陸の海辺に住んでいましたが、三回津波が襲い、三回目に全てを失いました。

89歳にしてすべてを失った舅は、生きる希望が無くなり、認知症もはじまりましたが、その土地を離れることはせず、近くの仮設住宅で暮らすようになりました。

仮設住宅で毎日酒を飲み、あまりにも状態が悪くなったため、周りの勧めもあって仙台に連れてきました。ところがその日から地獄が始まりました。

舅は過去の人生を振り返っては腹が立ち、やりきれなくなって、あびるように酒を飲み、暴言を吐き、暴れまくり、暴力をふるいました。手が付けられない暴言と暴力の中を、嫁はただひたすら耐え忍んで生き続けました。

しかし、息子である夫も殴りかかろうとする。殺したくなるほど父が憎くなる。完全に家庭は修羅場と化しました。怖くなって家から出て、隠れる。そのようなひどい状態の中、この人は書写に出合ったのです。

いらいらする、腹が立つ、憎しみが湧いてくる時、書写をするとスーッとひいていく。そうして自分よりもはるかに苦労された文先生のことを思うと涙が出てくる。心が平常になったと夫人は言います。

そういう中である時ひらめきが来ました。舅に書写を勧めてみようと思ったのです。とてもではないけれどありえない発想でしたが、何事かにつき動かされて勧めてみようと思ったのです。

それで舅に「心の書写をしませんか」と勧めたのですが、舅は不思議なことに書写だけは素直に受け入れたのです。根底には人間として光るものが残されている。最も大切な魂だけは生きていたのです。

この舅が真剣に筆を持って聖人のように書く。やがて、舅と嫁がともに書写する奇跡的な時間が訪れました。そうしているうちに嫁は悟ったのです。今まで舅は悪い人間だと思ってきました。そう思い込み、裁き、憎んでいました。しかし「あなたは嫁として舅を心から愛したことがあるのか。ご主人を心から愛したことがあるのか」という声が聞こえてきました。

彼女は、自分が舅のことを何も知らないことに気づきました。それで舅がどんなふうに育ってきたのか克明に調べたのです。すると、舅は生まれて後、親から一度も愛されたことのない人でした。震災の前から崩れていたのです。

そのことを知らず、一方的にさばいていた自分がもっと悪い人間だったと悟り、心の底から舅に謝りました。嫁として至らなかった、愛が足らなかったことを泣いて手をついて謝ったのです。

「人に謝れるということは素晴らしいことですね」と彼女は言っています。彼女はその時までどうしてもその一言が言えなかったのです。我を張り、プライドだけで生きていて、舅を上から見つめ、さばいていた。ところが本当に罪があるのは自分だと思った、すいませんと言えた時、自分の心に花が咲いたといいます。希望が見え、さわやかな風が心を吹き抜けたのだそうです。

すると今度は舅が心から謝り懺悔し始めました。舅と嫁は抱き合って泣き、その日が復活の日になりました。あれほど荒れ狂っていた舅が、その日を境に全く変わってしまったのです。文先生の真の愛が嫁を通して舅に伝わったのだと思います。近所の子供が慕って寄ってくるようになりました。

やがて舅は数年前に他界した姑と永遠の祝福結婚をしました。舅はそれを喜んで受けたのです。実は、この夫人は夫と祝福を受けることができずにいました。それで、舅がこの一家で祝福結婚をした第一号となりました。

奇跡はさらに続きます。舅の勧めで、彼女はご主人と祝福を受けることになり、更にご主人の姉夫婦、そして娘までも祝福結婚をすることになりました。夫人はこう言っています。「舅は大震災そのものでしたが、今はこの書写を通して、私たち三代に福を与える福の神になりました。」

心の書写とは自分の心だけではなく、周りの人々の心にまで花を咲かせるものなのです。

posted by みんなで書写会 at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族
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